とりプロフィール

さんぽと銭湯と音楽が好きな昭和63年生まれ、
教育マーケッター・ポッドキャスターのとり(鳥山よしき)です。

1歳息子と奥さんと
季節ごとに住む場所を変える旅暮らしをしながら、

IT スクールのマーケティングコンサルや
テレビ朝日でCMも打つ年商数十億企業の
オンライン事業コンサルをさせて頂いたりしてきました。

 

関わった一例)

アーティスト支援団体 ATOPA

IT スクール RareTECH

パン屋 ひなたぼっこ

 

自動で売れる仕組みづくりはもちろん、
サラリーマンの方に教育講座での自動収益を得てもらったり、
2ヶ月で売上4倍にするコンサルを提供したりしてます。

 

同時に、自分がただの高校教師から
1年で今の状態になれた、
「自立する力」をちゃんと伝えられる
教育の仕組みを作ってます。

 

 

開成高校でも教師をしていた教育のプロとして、
日本の教育に危機感を抱いているので、
自分で自分の人生をデザインできる人が増えたらいいなと。

 

ただ、そんな僕も元々はダメダメです。

不登校のひきこもりです。

 

30歳のある日、

 

ざわ…

ざわざわ…

 

今までの生き方、
“人生の戦略” を改める必要があることに気づきました。

 

人や会社に縛られた生活、
自由じゃない収入。

 

そこから必死に勉強して
旅して暮らすまでに人生変わったので、
同じように人生を自分の手に取り戻したい人に
自分の学びを届けたいと思ってます。

 

人生はいつでも、
どこからでも変えられます。

 

「この生き方は間違ってる」

出身は横浜です。

ですが、あの “横浜” ではなく、
歩いてすぐ田んぼがあり、
夜はカエルが大合唱するような、
最寄り駅から25分も離れた、
横浜市の田舎エリアです。

高校は川沿いを歩いて通っていました。

しかし
丸暗記の詰め込み教育に疑問を持ち、
お笑い芸人に憧れてたこともあって不登校に…。

 

結果、眠れぬゲーム漬けの日々。

 

小学生のころも不登校になりました。
同級生によると、授業中裸足で歩き回ったり、
だれかれ構わず廊下で上履きを投げたり、
だいぶ変わった子だったようです。

 

勉強もできず、ずっと問題児。
どうやら発達障害、
ADHD気味なことがのちに判明。

そんな自分と今も生きています。

 

高校での不登校は自分を責めました。

「意志が弱い」
「なんでこんなにダメなんだ」
「もっと頑張らないと」

 

でも現役受験に落ち、
1年浪人してなお落ちた時、
ふと…

 

「もし受かったとして、
でもここで死んだら後悔するのでは?」

と思ったのです。

 

すなわち
「この生き方は間違ってる」と。

 

だって、目標を達成したのに
後悔するっておかしいですよね。

その時から、

「今をたのしみながら進む」

と生き方を変えました。

常識的に考えれば、
浪人生が何言ってんの?という話ですが、
その時に “常識” は捨てました。

それより大事な「本当の自分」
と向き合うことにしたからです。

両親には果てしなく感謝しています。

「生きてる意味ない」「自分なんて価値がない」

それからの浪人生活は、
まず集中力を鍛えようと、
ギター、歌、スケボー、ジャグリングと、
とにかく興味を持ったことをやってみました。

 

この際だから
たっぷりの時間を使って運転免許取ろうと、
夏には3週間の免許合宿で新潟へ。

親から離れ、せめて金銭面以外だけでも
自立したい思いもありました。

 

両親には
「今はお金がないけど時間はある。
お金は後で返すから時間を生かさせてほしい!」
と謎なプレゼンをしました。(勉強しろ)

 

今思えば自己否定感やら、
勉強集中以前にストッパーのようになっていたものを取り除く作業が
必要だったのだと思います。

 

うつとも隣り合わせだったかもしれません。
「生きてる意味ない」「自分なんて価値がない」
と思ってしまう自分に怯えていました。

 

合宿から帰ってまた勉強をもりもり。
ただ10月の模試では志望校の早稲田にE判定。

 

なのに、じっとしていられなくて(ADHD?)
12月はカナダへ1ヶ月語学留学。

 

帰ってきたら急いでセンター出願、センター受験。
2月に早稲田大学学部受験。

そして合否発表…

 

 

電話での確認。
音声に従って受験番号を入力し、いざ。

 

「残念ながら、不合格です」

 

機械の音声が冷たく聞こえました。

落ち込みました。

が、どこか前の年よりはすっきりした気持ちでした。

 

自分の中で今を大切にしながら、
やりきったから。

 

すべり止めの大学に行くことになるかな…
と落ちた現実を受け入れる準備をしていました。

ただ、
2学部受けていたので、
もう一つの発表があります。

 

数日後、その発表日、
しかもこちらが第一志望…

前回と同じように電話をし、
案内に従って受験番号を入力。

・・・

・・・

・・・

 

 

「おめでとうございます、合格です」

 

 

わぁーーーー!!!

真っ先に伝えた母は、
号泣していました。

僕はとにかく目標通り、
自分がたのしむ一年にしました。
そして合格。

 

 

完璧主義の自分から少し解放され、
そのまま「たのしく生きる」が人生のテーマになり、
その後の人生は、
やっぱり、うんとたのしいです。

 

「やりたいことはまずやってみる人生」のはじまり

大学では
学部の授業+教員免許のための授業を余分に取り、
英文学コースながら東洋哲学の授業を取り、
朝9時~夜21時まで大学にいる曜日もありました。

 

バンドサークルに入りながらボクシング部に入り、
夜は中学生向けの塾講師バイト。
休みの日はありません。

 

予備校で出会った講師の影響で教育に夢を持ち、
自分なら不登校になる子の気持ちがわかるし、
子どもは未来そのものだと、
教師を目指すことにしました。

 

そして
人を幸せにするには
まず自分が成長しなければと、
インド横断旅2週間、
電気ガス水道のない島での生活2週間、
カナダロッキー山脈川下り山登り2週間、
アメリカ留学1年と、
在学中できる限りの挑戦をしました。

 

 

「人生はたのしい」
「大人はたのしい」
「こんな大人もいる」

 

そう子どもたちに伝えたくて、
いくつも選択肢を持ってほしくて、
教師になってからも
その姿を見せるべく挑戦を続けました。

 

会社に縛られたくなかったので就職は選ばず、
フジロックフェスティバルのステージに立つんだとバンドを続け、
途中プロボクサーになって試合をし、
英語教師として成長するため毎年新たな学校の採用試験を受け、
最終的には東大合格者数日本一の開成高校で教えるまでになり、
最高に美しいパートナーと暮らし、
これ以上たのしい人生はないというぐらい
充実していました。(過去形…)

 

社会人になってからずっと、
大人は自由でたのしい!と生きてきたのです。

 

それを反映させた授業は、
何よりたのしめることを大切にし、
自分が受けたかったような、
英語自体に興味を持てる授業を心がけました。

 

ですが30歳を過ぎ…

音楽で思うように成功できず、
ボクシングは三戦三敗、鼻骨骨折、全身麻酔で手術、
“斬新” な授業は一部の親や生徒に否定され、
学校とは方針が合わずやめることになり、
大切なパートナーとは別れ、
それはまさにどん底でした。

 

何度マンションの最上階へ行き、
手すりの向こう側を覗き込んだことか。

 

 

人生で一番つらかったです。

ここへきてまた、

自分の “信じてきたもの” が崩れました

それは
「熱意と行動で、夢は叶う」
という価値観です。

 

"普通" の大人は会社に入り、
いわゆる普通を目指す。

そこにも幸せはあり、
淡々とサラリーマンをできるすごさもある。

でも中には自分の夢を諦めた人もいる。

 

勝手ながら僕は、
“だから” そういう人たちは夢を叶えられないのだと思っていた。
自分はちゃんと行動して夢を実現するんだと燃えていた。

 

でも違いました。
それでは不十分でした。

 

“適切な” 努力、
すなわちもっと学び、
もっと思考しなければならなかったのです。

 

たった一度の人生なのに、
僕はギャンブルのように生きていたんだと気づきました。

そして出会ったのが、
自立して生きる起業家の先輩方でした。

 

その人たちから学んだのは、

「成功する人は、成功するべくして成功する」

ということ。裏を返せば、

「失敗する人は、失敗するべくして失敗する」

ということです。

 

僕は今まで後者でした。
成功の要因を間違えていた…
より正確には、不十分でした。

その上で、僕は教師をしてきました。

 

生徒からの授業の感想は、
「英語という名の人生の授業でした」
「嫌いだった英語が好きになりました」
「こんなに楽しそうに生きてる大人を初めて見ました」
「夢に挑戦し、追い続けている姿に憧れます」

 

そして教科書に出てくる成功者のストーリーを見て、

「あきらめずに努力すれば、
夢を実現できるんだと感じました。
僕もがんばります!」

という感想を書く子がいます。

 

それに対して僕は

「叶うよ!大人や常識、周りの言葉なんかで
あきらめちゃもったいない。応援してるよ!」

と言ってきました。

 

でも今は、

「 "熱意と努力" だけじゃ不十分だ」

ということも伝えなければと思っています。

だからまず自分がそれを証明することにしました。
「適切な」努力で夢を実現することにしたのです。
一人の自立した大人として。

 

焼け野原に立たされても

長くなりましたが、
そんな訳で僕は、
ようやく今自立しています。

 

個人で仕事を受け、
個人で仕事を設計し、進めています。

 

 

やりたい様々なことはまだまだありますが、
まずは経済的自立から。

 

これは雇われるかどうかの問題ではなく、
自分で収入源をつくる力
「自稼ぎ力」を持っているかどうか、
ということです。

 

自稼ぎ力を持っていれば、
その上で
雇われを選んでもいいし、
独立してもいいし、
複数の仕事を持ってもいい。

そのあり方はなんでもありだと思っています。

 

むしろその、
なんでも選べる状態を「自立」と呼んでいます。

それが一番安心じゃないかと。

 

なぜならそうなれば、
いつクビになっても平気。
いつ会社が倒産しても平気。

そういう状態が一番の保険であり、安心であり、
この変化の時代でも、こわいものなしですね。

 

僕はたとえ今もっている収入をすべて失い、
焼け野原に立たされても、
健康でいさえすれば、
またゼロから自分で収入をつくって
立ち上がる自信があります。

 

(欲を言えば PC と Wi-Fi はほしいです…)

 

このブログは、
そんなノウハウや考えを自分なりにアウトプットする
オンラインの場としてつくりました。

 

自分のパソコンにとどめておくのはもったいないので、
ブログとして残していきます。

常識の中で生きてきたけれど、
年を重ねるにつれまわりとの違和感を抱き、
これから何か新しいことで
ゼロから収入をつくりたい人に役立つと思います。

 

正直 SEO で検索されるようにとかは
あまり考えていないので(考えろ)
これをあなたが読んでいるのは何かの縁で、
ラッキーです。笑

 

僕も一歩ずつ進んでいます。

今どんな場所にいても、
すべては目の前の一歩から。

プロフィールを読んでくださって
ありがとうございます。

あなたの挑戦や成長も
応援しています。

とりやま

 

<編集後記>

自分を救ってくれる一番の魔法

開成中高、教員採用の最終面接で
校長先生に聞かれた質問が
人の本質を見抜くもので、
すごく印象的でした。

 

その質問は
「小学生のころ、もっとも悲しかったことはなんですか?」
というものです。

 

僕は、
「トイレで友達が目の前でいじめられているのに、何もできなかったことです」
と答えました。

 

それが本当にかなしかったです。
面接で答えながら、思い出して目に涙がにじみました。

 

その原体験が、
今も僕を駆り立てている気がします。

 

自分は弱い。

だから学び成長し、強くなる。

いつでもどこでも、
死ぬ瞬間まで成長することをやめません。

成長こそが、
自分を救ってくれる一番の魔法だから。

 

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